牧仕ブログ

「つかえる人」という言葉を真剣に考えてみた

 

使える人」と「仕える人

同じ発音だけど、意味は大きく違う。

ボクは「使える人」になりたくて一生懸命勉強をした。一生懸命仕事をした。努力した結果が出始めて、ボクは天狗になり人を見下すようになった。ボクの周りから人は離れていった。

ある時から、心を入れ替えてイエスさまのように「仕える人」になりたいと思った。出会った人みんなと向き合った。どんなことも全力で応えた。実は、いまいち仕えるということが何かわからない。でも、仕える人を目指した時、願った能力は自分には身につかなかったけど、代わりにそれをやってくれる仲間がいることがわかった。全ての人にステキな才能があることがわかった。助け合い、支え合い、笑い合える仲間ができた。

大好きなイエスさまは聖書を通してこのように教えてくれる。

『あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。』
マタイによる福音書 20:26-28

仕えることの模範を見せてくれたのはイエスキリスト!!

その究極の愛の形はボクたちが救われるために身代わりとなり十字架にかかって死んでくださったこと。そして、三日目に復活してくれた。

これを信じるときに、わたしの罪はもうなくなったんだよと教えてくれる。わたしの人生が変えられた。ここまでしてくださったイエスさまの愛に人生をかけて応えたい。また、そのように生きたいと思わされる。

会いに来てもらう私、ともみん(石川有生)があなたに会いに行きます! オンライン上だけのやり取りも可能、 匿名でも可能です。 LINE公式で連...