牧仕ブログ

愛は言葉で教えるものではない

「愛」という言葉をよく聞くようになったのは、キリスト教会に行ってからです。それ以前も、以後も教会以外で聞くことは多くはありません。

教会では、「互いに愛し合いましょう」「あなたは愛されています」「神の愛で愛しましょう」など、愛を実践する言葉を何度も聞いてきました。そして、私もそのように言ってきました。ただ、会いに行く教会を始めてからの私は、「愛しましょう」ということを人に言ったことはないです(たぶん)。

というのは、愛は言葉で教えるものではないと思っているからです。むしろ、愛ある生き方をすることがもっといいのでは、と考えるようになったからです。

聖書の中のイエスキリストが語った言葉を見てみます。イエスさまの生涯や語った言葉が書かれているのは新約聖書のうち、「福音書」と書かれたものです。新約聖書は27の書簡があるので、そのうちの4つです。「手紙」はイエスさま大好きな人たちが書いたものです。27のうち22あります。

福音書を開いてみると、イエスさまが直接語った愛についての言葉は決して多くありません。むしろ、神の国の例え話や、律法を間違った使い方をしている人たちを強く非難する言葉、裁きの言葉、世の終わりの話、迫害の予告、自分が死んで復活する話などがあります。

むしろ、イエスさまって愛について全然語ってないじゃん。って思いました。でも、「イエスさま=愛の人」ってイメージだしなぁ。どういうことだろ??となりました。

イエスさまが語った愛についての教え(一部)

わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。

ヨハネによる福音書
15:12

イエスは言われた。
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』

マタイによる福音書
22:37-39

イエスさまの愛について語っているのは、本人以上にイエスさまの弟子たちがもっと多いです。「神は愛」とかの言葉も弟子たちの言葉です。(もちろん、聖書は神の霊感によって書かれているので神の言葉であるのは大前提として。)

なぜ、弟子たちはこれほどまでに神の愛を語り続けたのか。

それは、

イエスさまの生き方が愛に満ちていたことを、出会った人たちが体験したからです。イエスさまは愛を語る以上に、愛で生きた方です。その愛は、弟子たちの心に深く刻まれたのだと思います。

後に周りの人たちが、イエスさまの愛を語ったというのはとてもすばらしいことです。愛は言葉では教えるものではなく、実践するものだと改めて思いました。ただ、私もイエスさまの愛を語り続けようと思います。