自分が変われるというのは大きな希望です。ついつい勘違いをしてしまい、自分ではなく人を変えようとしてしまいます。しかし、人を変えることはできない、というこの事実を分かっているだけで、とても生きやすくなります。
私は出会いの中で様々な話を聞かせてもらいます。辛さや痛みを抱えている人の多くは、悲しみや怒りに満ちています。悲しみも怒りの表現の一つだと思うと、多くの人が怒っています。当然のことだと思います。
怒りの矛先は自分以外の誰かです。自分に対して何かをしてきた人に対してです。そして、怒りと共に相手に変わることを願っています。自分に対して誠実に謝ってほしいとか、同じように大変な目にあってほしい、罰を受けてほしいなどの思いが見え隠れしています。
しかし、どうやっても相手を変えることは出来ません。
だからこそ、私はその怒りの感情をどこまでも受け止める役割をしたいと願って会いに行きます。そして、心が落ち着いた後は自分を幸せにするために行動できるように応援したいと思っています。
家庭の中で傷ついた人。
会社の人間関係で傷ついた人。
教会の人間関係で傷ついた人。
それぞれ理解できます。
嫌な親だ。
最悪の上司だった。
最低の牧師だった。
たくさん聞いてきました。そして、自分もそう感じたこともあります。
私自身ブラック企業で働いていましたが、辞めた後も会社の内状は変わりませんでした。労基が入っても変わりませんでした。教会も同じでした。どんなに自分が怒って、恨んでも相手が変わることはないということがよくわかりました。
相手を変えようとしても、自分のエネルギーだけを消費してしまいます。しかも徒労に終わることがほとんどでした。
それよりも、同じエネルギーを自分が幸せになるために、自分を変えるために使おうと思いました。人は変えられないのだから自分が変わろう。そう思いました。
その時から不平不満を言うことをやめ、議論をすることをやめました。自分が出来ることとして、一人でも多くの人に会いに行くことを始めました。
私の活動の原動力は聖書の言葉です。イエスキリストの生き方を模範としながら歩みを進めています。
聖書の言葉は自分を変えてくれます。
聖書の言葉はいつも励ましを与えてくれます。