孤独や悲しみを抱えている人にかける言葉は簡単には見つかりません。そのような方との出会いを何度重ねても、どんな言葉が励ましになるのかわかりません。でも、わかったことが一つあります。
「一緒にご飯食べる」
という事実が励ましとなるということ。
また、「◯月◯日にご飯食べよう」
という約束は励ましとなること。
小さな約束や一緒にいるということが励ましとなるケースが多いです。なので、誰かとご飯を食べることをこれからも大切にしていきます。「会いに行く教会」の名前を「食べに行く教会」に変えるのもいいかなと思っています。笑笑
いま現在も、困っている人、悩んでいる人がいたら話を聴くことで寄り添っています。過酷な環境にいる人たちとの出会うたびに、自分には何もできないと無力さを感じさせられます。でも、聴くことならできる。一緒にご飯を食べることならできると活動を続けています。
しかし、いつも出会いがあるたびに考えます。もっと出来ることはないのだろうかと悩みは尽きません。今までも、家に泊めてあげることをしたり、お金をあげたり、知り合いに頼んで仕事を紹介してもらったり、援助してくれる民間団体を紹介したりと色々なことをしてきました。それこそ、その度に調べて学んでやってきました。
毎日のように連絡をくださる方がいます。私がその方に出来ることは、毎日LINEを返すことだけです。連絡が来るたびに今日も生きてくれていることを確認しています。
いつも私の心には重荷があります。
もっと出来ることはないのだろうか…
これには答えがありません。それでも向き合い続けようと思っています。出会う全ての人にとって「イエスさまの福音」が希望になってほしいと願っています。
今日も悩み続けながら…