牧仕ブログ

悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする

昨今ではドンドン新しいSNSやテクノロジーなどが出てきます。YouTubeが流行ったと思えば、TikTokが出てきたり、NFT、chatGPTなどがいつの間にか出てきました。これらの全てを試してみて、適用することは時間的にも興味関心としても難しいです。

私はこう見えても会いに行く教会を始める前まではSNSも YouTubeもほとんど何もしていませんでした。やろうとも思いませんでした。よく分からなかったので。

それこそ、やったことないことを始める時はとてもストレスを感じます。なので、Twitterを始めた時も、YouTubeを始めた時もそれなりのストレスを感じていました。いっそのこと全部辞めてしまおうかと思う時もあります(笑)。

いつもやっていないことをやるのって、ものすごく心に負荷がかかります。なので、私はそれを逆手にとって毎日ルーティン化して色々なことをやっています。この聖書の話やコラムを書くこともそうです。たまにしか書かないのであれば、大きな負荷がかかります。でも、毎日書いていると意外と楽です。

一つのことがルーティン化すると、次のことに手を出しています。ドンドンやることが増えて困っています(笑)。でも、楽しいです。あとは、運動習慣がついたらいいなっていつも思っていますがこれだけはなかなか難しいです。

前置きが長くなりました。

クリスチャンになって生きることも似ていると思いました。大きな喜びがあるのも確かです。しかし、イエスさまを模範としてその生き方を真似しようと思う時に、今までやってこなかったことをするようになります。出来ないし、やったこともないしと言い訳が頭の中を駆け巡ります。

会いに行くこともそうでした。話を聞くこともそうでした。最初は心に大きな負荷がありましたが、やっていくうちに慣れていきました。初めての職場に行く時の緊張感に似ているかもしれません。

聖書が教える生き方を選び続ける時に、良き習慣が身につきます。今までの習慣を捨てることもできます。また、悪しき習慣を取り入れないようにとも教えてくれています。愛することについてはしつこいほど書かれています。偶像や不品行を避けることもしつこいくらい書かれています。悪しき習慣を選ばないようにと教えてくれています。

悪いつきあいは、良い習慣を台なしにする

それは、この聖書の言葉にある通りの意味だと思います。神様を大切にし、家族を大切にし、出会う人を大切にする生き方を選び続けるためにも心に留めたいと思います。