牧仕ブログ

やり抜く力が人生を切り拓いてきた

自分の強みを知りたくて、人に聞いてみたり本を読みあさったりしていました。強みとは、意識することなく当たり前に出来ていることと定義する人もいました。自分の強みは驚くほど自分では認識していないことがよく分かりました。

私は漫画で好きなキャラクターから気づきました。例えば、「NARUTOナルト」だとロックリー推しです。忍者なのに忍術が使えないからこそ、体術を死ぬほど訓練したキャラです。めちゃくちゃ努力型です。

センスや才能という言葉があまり好きではありません。センスがあっていいねとか、才能があっていいねという言葉は、その人の積み上げてきた努力を無視することだからです。

私は勉強が得意だったわけではありません。でも、それなりに結果を出せた理由は、浪人時代に死ぬほど勉強したからです。一日平均13時間です。人よりも成長速度は遅かったですが、毎日愚直にひたすらやり続けました。ここから考えても才能はそんなになかったと思いますが、時間をかけて身につけていったといえます。

才能という言葉は、生まれつき備わっている特別な能力だと受け止めていたことがあります。もしかしたら、多くの人が無意識にそのように使っているかもしれません。「GRIT やり抜く力」では以下のように書かれていました。

『「才能」とは、努力によってスキルが上達する速さのこと。一方「達成」は、習得したスキルを活用することによって表れる成果のことだ。』

「GRIT やり抜く力」からの引用

才能とはスキルが上達する速さのことだと書いてあり、どんな説明よりも納得ができました。愚直に努力を積み重ねることで誰もがスキルを上達させる可能性があります。私がまさにそのようなタイプです。生まれ持った何かはありませんが、コツコツやることは昔から好きでした。

最近、自己分析をしたところ自分の強みは「やり抜く力」ではないかなと思うようになりました。これは、後天的に身についたものですが、これゆえに一つまた一つと人生が切り拓かれていっている気がします。やり始めたことを大切にするようにと教えてくれたイエスさまに感謝をしています。

「GRIT やり抜く力」という本を勧められて読みましたが、知りたかったことが書いてありました。才能か努力のどちらが大切かという議論はずっとあります。本を読んだ結論は、やり抜く力こそが大切であると書かれています。それは、生まれ持った才能・知能は関係ないと書いています。失敗を恐れず挑戦することが重要で、長期間、継続的に粘り強い努力が必要とありました。

やり抜く力は後天的に身につけることができるというのは、私にとって大変ありがたいことでした。努力出来ることも才能ではないかと思っていたことがありました。自分の人生を切り拓いていくためにとても重要なものだと思います。自分の選んだ生き方を大切にし続けるために必要なことだと感じています。

会いに行くキリスト教会を始めたころに、この活動を賛成して応援してくれる人はほとんどいませんでした。どうしたら会いに行くことが出来るのかも分かりませんでした。それでも分からないなりに続けていくうちに、それなりに必要とされる活動になってきました。

何もないからこそ、やり続け、やり抜くことを大切に出来たのかもしれません。これからも会いに行き続けることをしようと思います。