牧仕ブログ

牧師という職業は必要とされていない

もっと世の中一般に牧師が必要とされる存在になるにはどうしたらいいのでしょうか。

基本的には社会一般では、牧師という職業は必要とされていないと思います。薄々感じていたことをハッキリと書いてみました。これを書くことは自分の生き方を否定するみたいで、とても辛いです。でも、書かないことには始まらないとも思っています。

もちろん、キリスト教業界の中ではとても大切な役割を担っています。牧師を必要としてくださる方がいます。また、牧師としてそのあり方や生き方がすばらしい方もたくさんいます。

しかし、世の中一般の中で牧師という職業はほとんど全く必要とされていないと思います。牧師自身が自分に付加価値をつけて牧師業をめちゃくちゃ頑張っている方もいます。でも、しかし、一般的に牧師は必要とされていないのではないかと感じています。

同じように、神主さんやお坊さんを日常生活の中で必要と思うことはどれくらいの頻度であるのでしょうか。少なくとも私は一度も思ったことがありません。おそらくで申し訳ないのですが、多くの人にとっても同じだと思います。人生で悩んだから相談してみようとなる人は本当にごくごくごく一部だと思います。それでもお坊さんをお葬式や法事で必要とすることはあるので、牧師より必要とされていると思います。

牧師の必要性というとさらに少ないと思います。これが牧師として生きる私のスタート地点です

必要とされていないということは、ほとんどの人の頭の中には存在していません。存在していないものには関心を寄せることもできません。存在していないということは、牧師が何をしているのかも分かりません。牧師と知り合えたとしても、自分の人生をどう豊かにしてくれるのかも分かりません。

こうやって書くと牧師の人生はオワコンであり、無理不可能に思えてきます。

ただし、キリスト教は学校や幼稚園の経営などでだいぶ根ざしていると思います。他にも医療や福祉の分野でもキリスト教は活躍しています。少し大袈裟に書きましたが、私は危機感をずっと持っています

このままではキリスト教業界はどんどん衰退していくと思います。今までのやり方を踏襲することで、変わらずに必要とされるのであれば喜んで伝統を大切にします。しかし、このままでは本当にごく一部の人に必要とされるだけで終わってしまう気がします。

会いに行く教会の活動をして感じているのは、会いに来てほしい、話を聞いてほしい、助けてほしいという人はものすごくたくさんいます。しかし、その声を拾うこともほとんど出来なければ、必要に応えることも出来ていません。

私は2018年に、今までのキリスト教会のように時間と場所を指定して教会で待っているだけでは何も変わらないと思い、教会の建物を飛び出してこの活動を始めました

牧師がもっと必要とされるにはどうしたらいいのでしょうか。今までとは異なる付加価値をつけて活動することが考えられます。もちろん、一般的な牧師はもちろんキリスト教会内に価値を与えています。付加価値というのは、世の中一般の人に価値を与える人のこととして書きました。

是非を問いたいわけではありません。キリスト教会だから出来ることがあります。一方でキリスト教会だからこそ出来ないことがあると思います。私は、キリスト教会だからこそ出来ないことにチャレンジし続けたいのです。それぞれ役割分担をし、双方で必要を満たせたら面白いと思っています。