会いに行くことを毎日のようにしていますが、たまに私に会いに来てくれる友人がいると嬉しくなります。先日、友人が会いに来て一緒にスシローに食べに行きました。とても嬉しかったです。わざわざ遠くから来てくれて、ご馳走までしてくれました。本当に嬉しかったです。
自分の活動のことを棚に上げて話すことになるので恐縮してしまうが、「会いに行く」はものすごく喜ばれることだと実感しました。
イエスさまもいつも自ら会いに行きました。社会的に排斥されたり、不当な扱いをされている人のところに会いに行きました。この姿が私の目指すべき姿です。当時の人たちも嬉しかったに違いありません。
私は教会での牧師を辞めた後に、一人で牧師としての活動を始めました。最初は、場所と時間を決めて礼拝会をやることを目指しました。いわゆる普通の教会活動です。どうしたら人に来てもらえるかなと悩みました。しかし、決められた時間と場所に、時間やお金を使ってまで来てもらうことを想像することが出来ませんでした。もっといえば、来てもらうと言うのは、とても上から目線な活動をではないか、と自分に問いかけました。
それから自ら会いに行くことを思いつきました。イエスさまはどうしていたのかを何度も聖書に問いかけ続けた結果として、イエスさまをモデルにしようという結論にいきつきました。
それからは、生き方で悩んだ時はイエスさまはどうしたのかを考えるようになりました。人との出会いでもそうです。人間関係でもそうです。困っている人がいた時に、めんどくさいから関わりたくないと思うのが瞬間的な反応です。しかし、少し立ち止まってみて、イエスさまならどうしたかを考えるようにしています。
全ての人間関係のヒントはイエスさまの生き方にあります。イエスさまからはSNSの使い方もYouTubeの使い方も教わっていませんが、人間関係の根幹に関することは教えてもらうことが出来ます。生き方で大切にしたいことも教わることが出来ます。