牧仕ブログ

一般の人が教会に求めるもの

自分がやりたいことをやるのが良いのか、もしくは求められていることをやるのが良いでしょうか。一般の人がキリスト教会に求めるものについてずっと考えを巡らしています。そもそも、求めてすらいないというのが現状ではあります。それでも考えることをやめず、悩み続けたいと思います。

会いに行く教会に「会いに来て欲しい」と連絡をくれる人の多くはクリスチャンではない人です。不思議なのは、教会で働いていた時はそんなに人が来なかったのに、この活動を始めてから出会う人が増えたことです。

最近の出会いの中で言われたことにヒントがあると思いました。

「キリスト教会の牧師さんに話を聞いてもらいたくて、教会ホームページを調べたけど、(礼拝)プログラムの日時しか書いていなくて諦めました」

これはクリスチャンではない人のお話です。クリスチャンの人であれば、教会に行く目的は「礼拝会」などのプログラムです。しかし、一般の人からしたら、相談に乗ってくれたりと個人的に話せることを求めているのだと思います。

教会としては「礼拝会」のプログラムに来て欲しいとい思いを持って準備して取り組んでいます。それこそ「礼拝会」に参加したい人は自ずと来ると思います。でも、礼拝会ではなく相談や対話を求めるニーズには応えきれていない気がします。

私も細々と会いに行く活動をしています。私へのニーズは相談や対話です。話を聞いて欲しいということが多くあります。

教会で牧師やクリスチャンの人が話を聞きますよということを、平日や土日などもやっていたら来る人は増えるのではないかなと感じました。それこそ教会に対して、懺悔室みたいなイメージを持っている人は多いと思うので。

教会を持たず運営をしていないので好き勝手言えてしまいます。でも、どうしたらいいのかと考えることがとても大切だと思います。わたしが教会堂を持っていたら、平日も含めてフル活用してみたいと思います。様々なアイディアだけは持っています。もちろん、実行に移す日が来ることは基本的にはないと思いますが。いうは易し、行うは難しなので言いたい放題ではありますが。

やりたいこともやってみて、ニーズがあれば続けたらいいと思います。ニーズがなければ違うことに時間や労力を割くようにするのがいいと思います。

現代に求められ、またこれからもなくならないものはコミュニケーションです。これを満たしてくれる教会のあり方や活動などはニーズがあると思います。