日本では占いやスピリチュアルが流行っています。
会いに行く教会の活動でも、そのような方々とかなりの割合で出会います。
その中でも興味深いのは、スピリチュアルな人からイエスを信じるクリスチャンになった方の話です。
ある方は、様々な悩みや体調不良を抱える中で、スピリチュアルに傾倒していき、状態が良くなっていったそうです。
そして、それらを同じように困っている人たちに伝えていきました。その時に気づいたのが、自分は良くなったけど、そうならない人もいるということだそうです。
スピリチュアルの教えに共通していることは、良くなることと自己実現だそうです。個人は一時的に幸せになることがあるそうです。しかし、自分の周り以外の人や社会が良くなることを見たことがないと言ってました。
これはとても印象的な話でした。
そのような時に、聖書に出会い、キリストにある愛と義に感動したそうです。
たしかに、私が出会ったスピリチュアルに傾倒する方は、人柄がステキな方が多いです。もちろん、お金儲けの方もいました。
ということで、私が感じたイエスさまへの信仰とスピリチュアルの人が求める違いを、少し言葉にしておきます。
聖書は自己実現ではなく、神の国の実現を愛と信仰によって行うことを語っています。イエス・キリストの生きた姿、またパウロの姿もそれを表しています。
今の世の中は、スピリチュアルを始め、自己実現や自己啓発がとても流行っているように感じます。これらが間違っているとか、悪いと言いたい訳ではありません。
私は、聖書を知らなければ、自分は何を選んでいたか分かりません。自分を満たそうとする自己実現の人生を選び続けていたのかもしれないし、そうではないかもしれません。選ばなかった人生については分からないですね。
私は15年前にクリスチャンになりました。信仰を持って生きることが、自分の人生を豊かにしてくれるということを知りました。もちろん豊かになることと、問題なく順風満帆であることは違います。
聖書の中にはパウロという人物が書いた手紙があり、その中で語られるていることがあります。それは、キリストを信じること、喜び、祈り、感謝をし、愛を実践することで、どんな境遇でも満足できることを習い覚えたと書いています。
スピリチュアルからクリスチャンになった方の人生とパウロの言っていることが重なります。
何にせよ、イエスさまを信じて生きることは私にとってこれ以上ない幸せであることを感じました。