相手に変化を求めることをしなくなってから、人との関わりが楽になりました。教会や会社などの組織で働いている時は、なぜか人の成長や変化を求めてはイライラしていました。しかし、自分の領域と他人の領域を分け始めた時に心が楽になりました。
昔、私がいた教会は皆がキリストのような生き方をしようと意気込んで自分を成長させ、また相手のことを教え導くことで成長を促すことをしていました。とにかく成長を自分にも他人にも求めていました。営業会社で働いていた時も似た感じでした。
組織であるからこそ、利益や成長を目指すというのが当たり前のようにありました。でも、思ったように自分が成長できないことへのイライラもあれば、一緒に働く人の変わらない姿にイライラすることもありました。もしかしたら、私が組織においてストレスがたまり、うつ病になった理由がこの辺にあったのかもしれません。
組織を離れた今、ストレスを感じることはものすごく減りました。その一つの理由は、求められる姿を目指さなくてもよいことです。求められる姿は、自分がなりたくない姿でもありました。余計にストレスをためていました。
もう一つは、人に対して成長を求めなくなったことでストレスがなくなりました。人に変化を求めることほど大変なことはありません。相手に対するイライラがいつもありました。
現在は、他人に成長や変化を求めなくなり、すごく心が楽になりました。会いに行く教会の活動でもこの考えを大切にしています。会った相手の心を変えてやろうとか、もっと頑張るべきだなどと願うことはなくなりました。もちろん、そのような役割をする人も必要だと思います。
しかし、少なくとも私がそのような役割をする必要はないと思っています。私が出来ることは、話を聞いたり、一緒に楽しく過ごしたりすることです。
人と関わる時に大切にしているもう一つのことは、相手の人生を応援することです。もし、応援できないと思った時は静かに距離を置くことを選んでいます。私たちの多くは誰かに褒められたり応援されることで力を発揮します。私がそうだからです。
決して良いとは言えない環境にいる人に対しても同じです。そんな生き方辞めた方がいいというのは簡単です。もっとこうやったらいいと言うことも簡単です。もし、それが出来るのであればすでにやっています。でも、出来ないからこそ今の状態が続いています。
誰もが求めているのは、つながりであり、応援してくれる人だと思います。今はできなくても将来の自分なら出来ると信じ続けてくれる人ではないでしょうか。
イエス・キリストは私たち一人ひとりのことを価値がある。愛していると言ってくれます。それは何かできるからではありません。存在そのものを愛してくれています。同じように人と接する時に相手を価値ある存在だと思えたら人との付き合いも少し楽になると思いました。私はこのように思えるようになってから少し楽になりました。
牧仕ともみんの初めての著書「人の話は、ただ聞けばいい」が絶賛発売中です。よかったら覗いてみて下さい。全国の書店やAmazonなどのネットショップでお買い求めいただけます。どうぞよろしくお願いします。