牧仕ブログ

私たちは誰もがつながりが必要

私たちは誰もが社会的なつながりを持ちながら過ごしています。それこそ、誰も関わる人がいない、話す人がいない、相談する人もいないとなると孤独です。一番辛いことの一つは孤独だと思います。

聖書は徹底してコミュニティを中心に描いています。旧約聖書はイスラエルの共同体、新約聖書はイエスさまとその一行、パウロが書いた手紙は地域のクリスチャンたちの集まりなど。共同体の中での信仰を語っていることが多いです。

しかし、現代社会は共同体よりは個人にフォーカスが当たることが多いです。私自身も信仰は個人的なものということを強調しています。その上で、やはり私たちにはコミュニティとの緩やかなつながりが必要だと感じています。

「緩やか」というのがポイントかもしれません。

私の苦い体験として、教会生活にどっぷり浸かっていた10年がありました。その時はそれなりに良い時間を過ごしていました。しかし、いざ教会を離れた時に誰も頼れる人がいませんでした。連絡を誰にしていいのかも分かりませんでした。突如、孤独な環境になりました。教会、仕事、居場所の全てが教会だったのでなくなってしまいました。

それからは自分を守るためにも、コミュニティとの繋がりは3つくらいあるのが良いと思うようになりました。それこそ、教会だけを考えてもそうだと思います。一つの教会との繋がりだけでなく、それ以外に2つくらい緩やかにつながっていることでバランスが取れると思います。

また、様々な理由でつながりは突然なくなります。1つしかつながりがない時に、その1つがなくなるととても不安になります。3つあれば、1つなくなってもそんなに動揺することはありません。会社、教会、趣味などのつながりのように緩やかにつながっていくのがいいと思います。

私自身も緩やかなつながりが少しずつ増えてきて、確かに心には平安があります。オンライン教会は私にとっても良い居場所です。食べに行く教会も良い居場所です。

その居場所やつながりは増やし続けることも出来ますが、人それぞれキャパがありますので無理をせず関係を維持したり、増やしたり、減らしたりするのがいいと思います。

それこそ、「食べに行く教会」のコンセプトは「とまり木の役割をすること」です。鳥が木にとまって少し休んでエネルギーをチャージして、飛び立ちます。そんな感じで、休んでチャージしてまた自分らしく飛び立つ人がいたら嬉しいです。必ずしも一つのコミュニティに関わり続ける必要はないと思っています。

聖書最大のメッセージ の一つは「互いに愛し合いなさい」です。この言葉を通して、人が人と関わり生きていくことが大切だよと教えてくれている気がします。