牧仕ブログ

自立とは依存する先を増やすこと

「助けてください」と言えた時に人は自立している。という安冨歩さんの言葉。

自立とは「迷惑をかけてはいけない」「何でも自分ですること」だと思っていました。そして、実際に学校や教会でそのように教わってきました。「自立とは人を頼ること」というのは、それとは真逆の教えです。

教育とは洗脳であると言った方がいます。教え続けられたことは、根強く自分の中に残ります。私たちの多くは人に頼ることが苦手です。それはその人の特性などではなく、そのように教わってきたからだです。かくいう私も人を頼る方法なんて教わったことがありません。

私たちは誰もが何かに依存して生きています。家族、会社、インフラ、お店、コミュニティなど様々なものがあります。しかし、依存する先が減る時に私たちは不自由になります。色々な繋がりを減らしていって最後に一つだけ繋がりが残るとします。その最後の1人に「言うことを聞かないと、もう縁を切るぞ」と言われたらどうでしょうか。それが親なのか、パートナーなのか、福祉なのかに限らず、その時は恐怖を感じるでしょう。

これはその人にただ従わなければならない、隷属した状態だからです。これは依存ではなく奴隷として生きることです。つながりが一つであることは自立ではありません。

私は教会という繋がりしか持っていない時がありました。教会で病んだ時に頼る人がいませんでした。まさにこの状態でした。そこから、一つまた一つと繋がりが増えてきて自立することが出来ました。

会いに行く教会を始めて、いつからか出会う人たちに「迷惑をかけてください」と言うようになりました。それは、大変な時こそ迷惑をかけてはいけなと思い悩む人が多くいたからです。自立とは誰にも頼らず全部自分でやることではありません。困った時に頼れる相手がいるという状態こそが自立だとやっと分かってきました。

頼る相手が増えること、助けてくださいと言える相手が増えることこそ自立なのです。これからは声を大にして言っていきます。

信仰も似ていると思います。イエスさまを必要とし続けることこそが、信仰だと思います。聖書が教えるのは神に依存し、人に依存すること。それが人としての成熟だと思うようになりました。

もちろん、頼っても応えてくれないこともあります。そこで文句を言うのは、ただ単に未熟なのだと思います。成熟していくことが必要です。残念ながら誰もが助けてくれるわけではありません。相性もあります。普段の関係の中で、助けてくださいと言える人間関係を作ることが大切かもしれません。