牧仕ブログ

料理は愛のコミュニケーション

「料理をする事は既に愛している、食べる事は既に愛されている。」

これは土井善晴さんの言葉です。料理という一つのことを突き詰めた人の言葉はとても深いです。ステキな言葉に出会うことができました。

料理人は愛の仕事なんだなと思ったり、家庭の中で料理を作る人は愛情いっぱいなんだなと思いました。また、それを食べるということは、愛を受けているんだと思いました。今までたくさん愛を受けてきたことを知りました。

一人暮らしで社会人の時がありました。あまりにも忙しく朝ごはんも昼ごはんもまともに食べることが出来ませんでした。夜ご飯を食べにお店によく行っていました。何を食べても美味しかったです。一日の中で一番ホッとした時間でした。誰かが作ったものを食べることが出来ると言うのは、とても幸せなことだと思います。

他にも、私の実家は共働きで親が帰ってくるのが遅かったです。小学生の時は、兄弟たちで順番にご飯を作ることをしていました。とっても寂しさを感じていた時期でした。学校から帰ってきても親がいない。ご飯も自分たちで作る。ただ寂しかったです。母が働きすぎて体を壊し、仕事を辞めました。それからは家にいるようになりました。ご飯をよく作ってくれるようになりました。それからは寂しいと思わなくなりました。

もう一つ思い出した話を書きます。うつ病となり教会の仕事を辞め、10年ぶりに実家で暮らし始めました。ある時から毎日の夜ご飯を作るようになりました。両親がとても喜んでくれました。何を食べても美味しいと言ってくれました。休んでいる中でやりがいを見つけた気がしました。

「料理をする事は既に愛している、食べる事は既に愛されている。」

この言葉を通して、料理は愛のコミュニケーションだったんだと知ることが出来ました。

聖書は一貫して「互いに愛し合いなさい」と教えています。一方的に愛しなさいではないところが聖書の好きなところです。その愛の実践に関しては、イエスさまの姿や弟子たちの姿が一つ模範となります。しかし、具体的に愛することについては事細かく説明はされていません。何をすることが愛なのかなと思い悩むこともあります。

ご飯を作って一緒に食べることも愛なんだなと思えました。これからも食べに行く教会をやったり、また人を迎えてご飯を振る舞ったりしたいと思いました。