牧仕ブログ

人の心の深いところに触れる

怒っている人の感情をなだめるには、その人の代わりにその人以上に怒ることが効果があります。私の代わりに怒ってくれてありがとうという思いもあります。それ以上に、自分より怒っている人を見ると人はなぜか冷静になれます。

例えば、お店などで店員さんに怒鳴りながらクレームを入れている人をたまに見かけます。そんなに怒らなくてもいいじゃないかと、冷静になります。自分よりも怒っている人がいると、なぜか冷静になれるのです。

悲しみは怒りの一つの表現だとも言えます。悔しくて泣いて悲しみを表現している人がいます。でも、心の奥底で押し殺している感情は怒りである場合があります。様々な方の話を聞きながら大切にしているのは、この怒りを吐き出してもらうことだとも思っています。

怒って人を傷つけることは賛成し難いですが、怒りを吐き出して昇華することはとても大切だと思います。毎日、どこかでストレスを受けて耐え、悲しいこと、悔しいことがそれなりにあると思います。誰に言えずに飲み込む人も多いと思います。

イエスさまの活動は、そのような感情の受け皿になったと思います。イエスさまの質問に対してチグハグな解答をする人が多く書かれています。例えば、ベトサダの池の近くで38年間病に苦しんでいる人にイエスさまは「良くなりたいか」聞きました。帰ってきた答えは良くなりたいではなく、その人の辛さが言葉になったものでした。質問に答えるよりも先に、自分のことを分かって欲しいという心の表れだと思います。

イエスさまが病を癒すことが出来ることは特別なことだと思います。病だけ癒しても救われなかった人たちもいたはずです。重い皮膚病で悩む人の体に触れることで、心を癒しました。もちろん体も癒しました。また、祭司に見せることで社会復帰をさせました。体を癒し、心を癒し、社会復帰をさせるイエスさまの行動に今日も感動していました。

人の心の深い部分にタッチしたイエスさまをいつも思いながら、出会う人の心の奥底にある悩みや感情は何かなといつも探っています。そこを満たそうとすることが聞くことなのかなと思案中です。