牧仕ブログ

自立とは神と人に頼る生き方

主に望みをおく人は新たな力を得 
鷲のように翼を張って上る。 
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

旧約聖書イザヤ書40:31

聖書の一節を引用しました。神の力にたよれば、疲れることない新たな力が与えられるという励ましです。神様に頼りながら生きることが信仰と言いますが、実際にはどういうことなのでしょうか。

「鷲のように」と例えられています。鷲の飛翔についてネットで調べてみました。「猛禽類保護センター」のホームページにあった説明によると「ある調査では、全飛行中の羽ばたいて飛ぶ割合は10%以下という報告もあります。」とあります。

鷲は自力で羽ばたいて飛んでいる訳ではないそうです。ほとんどが上昇気流や風の力を利用しています。おそらくですが、自分の力だけで飛ぶことは不可能なのだと思います。

私たちも生きていく中で、人や環境を頼らずに生きることは不可能です。私はどこかで勘違いをして、自立とは誰にも頼らずに自分の力だけで生きると思ってしまっていた時があります。でも、「自立とは頼る先を増やすこと」と聞いてひどく納得しました。「頼ってください」「迷惑をかけてください」をあえて相手に伝えるようになりました。

安心して頼れる先を増やしていくことこそが自立なのだと思います。それを増やしていくことは簡単ではありません。残念ながら自動的に増えるわけでもありません。多くの場合は自ら声を上げて「助けてください」という必要があります。

信仰を持って生きるということも、自力ではないはずです。イエスさまを頼ることが信仰です。イエスさまをいかにして頼るのかということは、自立と似ていると思います。

でも、言いたいことがあります。

神様を頼るってどうするんだーーーー。

信仰は間違いなく自分の中にあります。でも、イエスさまを頼るということを説明してと言われると、言葉に詰まります。朝コーヒーを飲みながら、聖書を開き、祈る中で神の平安を感じる時があります。このような時間の積み重ねも頼ることなのではと思っています。

何にせよ、今日もイエスさま大好きって言います。