牧仕ブログ

ご飯を一緒に食べることのススメ

土井善晴さんの著書の中に「料理をする事はすでに愛している、食べる事はすでに愛されている」とあります。料理に人生をささげてきた人の言葉ゆえに深さを感じます。

私も食べることが大好きです。聖書の中に食べることの要素はないのかなと探していました。聖書由来の料理などあれば面白いのにと思っていましたが、そんなに有名なものはありません。マッサマンカレーは言葉の意味もマッサマン(イスラム教の)だったりします。

でも、昨年聖書を読む中でイエスさまこそ人と食事を食べることを大切にした人だと気づきました。

聖書を読むとイエスさまは陰口を言われていました。しかも、その陰口の内容がイエスさまが食事会をよくしていたことを裏付けるものになっています。

人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。
(‭‭マタイによる福音書‬ ‭11‬:‭19‬)

いつもたくさん食べて、たくさん飲んでるやつがいるぞと非難する言葉があります。これだけ読んでも、イエスさまが出会う人たちと食事を共にしていたことが分かります。

また、十字架にかかる前の日、最後の晩餐と呼ばれる食事会があります。最後の日の夜を弟子たちと共に食事をすることを何よりも願いました。

イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。
(ルカによる福音書‬ ‭22‬:‭15‬)

「切に願っていた」とあります。イエスさまが一番願ったことが、最愛の弟子たちとの食事の時間でした。人生の最後の瞬間を弟子たちと過ごしました。

さらに、その食事の席で遺言を語りました。その内容は、私イエスのことを思い出しながら食事をしなさいです。現代では聖餐式と呼ばれるものです。本来の意味は、食事を一緒にしながらイエスさまを思い出すことです。

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
(ルカによる福音書‬ ‭22‬:‭19‬)

イエスさまが最後の晩餐で語る言葉は、遺言とも言えます。そこで言った内容は、食事を食べる中でこのように行いなさいです。食事をする中で聖餐式をする教会はごく一部しかないと思います。儀式的に切り取って行っていることが多いです。大切なことはイエスさまを思い出すために集まることなのだと思います。

これだけで終わらず、復活後のイエスさまは弟子たちを食事でもてなしました。夜通し漁をして苦労した弟子たちをパンと魚でもてなします。イエスさまの愛の形はもてなしとしてあらわされました。

私が食べることが好きなので、このような聖書の読み方になるのだと思います(笑)。今年も会いに行き、一緒に食べることを大切にしていこうと思います。

ご飯一緒に食べに行きましょう。
気軽に誘ってください。