牧仕ブログ

信仰を辞めたくなったらどうする

信仰を途中で辞めたくなったらどうしたらいいですか。この質問も時たまに聞かれます。どうしたらいいのでしょうね。辞めたくなったら辞めたらいいと思います。というのが私なりの答えです。

もちろん信仰を持つことはすばらしい。個人的には、持ち続けて欲しいと願います。それでも、本人が持つことで苦しむのであれば手放す選択肢もあるのかなと思います。ただし、今まで一人としてそのような人と出会ったことがないというのが不思議です。

教会に嫌気がさした人も、牧師や神父に嫌気がさした人も、クリスチャンに嫌気がさした人もたくさん出会ってきました。でも、信仰自体を捨てたと言う人に会ったことがありません。

そもそも信仰とは何でしょうか。様々な表現ができます。一般的には、キリスト教会に通い、聖書を学び、洗礼を受けることをいうのだと思います。

しかし、教会に行ったことがない人でもイエスさまを心から信じて信仰を持っている人はたくさんいます。私は会いに行く教会の活動を始めてから知りました。このような方たちとのたくさんの出会いがありました。

信仰とは形を守ることに留まりません。

信仰とはイエス・キリストを私の神、私の救い主として受け入れることから始まります。私のために十字架にかかって死なれ、3日目に復活したイエスさまを信じることです。

そして、このイエスさまのことをずっと必要であると求め続けることでもあると思います。信仰を辞めるということは、イエスさまが人生の中から全く必要がなくなることだと思います。そう思ってしまったのだから仕方がないと思います。それほど大きな何かが起きたのだと思います。

信仰を辞めたいと言う人に対して私に出来ることは、話を聞き、その考えを尊重することです。あとは一緒にご飯を食べることくらいです。そして陰で祈り続けることをすると思います。

イエスさまもそのように祈ったとあります。

しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

新約聖書 ルカによる福音書22章32節

また、私が神さまを求めなくなっても、神さまは変わらず私を愛すると言っています。自分の状態は人生の様々なイベントで変わってきます。でも、神の愛は変わりません。

信仰とは何かあったら揺れてしまうものだと思います。幸いにも私はまだ体験したことはありません。イエスさまの弟子たちも皆体験しました。イエスさまが十字架にかかり死んだ時には皆が動揺し、絶望し、それぞれ元の職業に戻っていきました。復活したイエスさまが弟子たちにまた声をかけてくれました。そして、彼らはもう一度信仰を大切にして過ごすようになりました。

色々と書きましたが、信仰を持った人が生涯その人生がイエスさまと共に幸せだったらいいなと心から願っています。