牧仕ブログ

聖書が占いを禁じる理由は〇〇だ

『占い師星子』という漫画が面白いです。占いの裏側を暴く衝撃の話題作として連載されています。個人的には、想像した通りの内容が書かれていると思いながら読んでいたけど、それ以上に面白かったです。

日本ではオウム真理教の事件以来、宗教はネガティブなイメージとなり、占いはポジティブなイメージになりました。日本の占い市場は年間1兆円を超えます。メンタルヘルスの市場が300億円くらいで、占いの30分の1以下です。

占いが良いか悪いかの話をひとまず置いておきます。

その漫画によると占いは心理学と話術を用いて相談者を励ますことをしています。読みながら、素直に上手だなと関心させられました。占いを受ける側の心理としては、カウンセリングするほど重くないけど誰かに励ましてほしい、アドバイスが欲しい、背中を押して欲しいなどの欲求を満たすことにちょうどいいのだと思います。

以前、お会いした方で占いに深くハマっていた方に話を聞きました。簡単に答えがくれるのが魅力と言っていました。一度ハマると常に占いを見るようになるそうです。

逆になぜ聖書を頼らないのですか、とも聞いてみました。聖書はすぐに答えをくれないからだそうです。なるほど、その通りだと思いました。

聖書では占いは何と言っているのでしょうか。多くのクリスチャンたちの口からは「キリスト教は占い禁止」とありますが、どうしてなのでしょうか。

私なりの結論を先に書くと、「クリスチャンは占いが必要ない」です。そもそも「占いとは未来を知るための宗教的行為」だからです。宗教的行為というのは、その占いの先に自分が信じる以外の神がいて、その神を頼ることに等しいからです。クリスチャンにとって、自分が頼りたい神様はイエス・キリストのはずです。それ以外の神が必要ないと思うからです。

また、未来を知るためと書きましたが、未来を支配するのも神様です。神様に任せておけばいいと思います。占い師の手法は、相談者の過去を当てることで信用を得、未来について言及することでさらに占いにハマってもらうというのがあります。

旧約聖書では預言者と呼ばれる人たちがイスラエルの未来について語り続けました。しかし、未来が分かっていても誰も耳を貸しませんでした。私も含めて、多くの人は未来が知りたいのではなく、自分に都合のいい未来が知りたいのだと思います。

占いについて色々と書きましたが、大切なことは自分はどうしたいのかを考えることが必要です。聖書は占いを禁じていると言って終わるのもいいです。しかし、なぜ禁じているのか、もしくはなぜネガティブな印象をもって描かれているのかを考えるのが大切です。

イエス・キリストがいれば占いは必要がないというのが私なりの結論です。良いか悪いかの判断を超えて必要がないというのが一番スッキリします。良いか悪いかであれば、考え方一つで捻じ曲げることが出来てしまうので…この話はまたいつか書こうと思います。