牧仕ブログ

人は焼肉で癒やせないほどの傷を負うべきではない

聖書は人を愛しなさいと教えています。一方で愛することができない、いや難しい時があります。愛そうとして、愛せなくて自分が傷つくことがあります。

私はそのような方には、相手のことを無理に愛そうとせずに離れるようにしています。関わらないことも大切だと思っているからです。

関わらないことを強調したとしても、「聖書には愛しなさい」とあるからどうしたらいいのかわからないということを相談してくる方が後を断ちません。

根底には愛したいという優しい心があるからだと思います。自分が傷ついても何とか耐えようとする方もいます。愛することと距離を置くことの基準をどう持ったらいいのでしょうか。

それが、「人が焼肉で癒やせないほどの傷を負うべきではない」です。これは人間関係の一つの基準です。

私は、美味しいものを食べて、一晩寝て忘れることができないほどの痛みや苦しみは負うべきではないと思っています。いつも自分が悩み苦しむ環境であるならば、そこから離れてみるのも一つの手です。

私は中学高校と野球をやっていました。高校の練習はそれなりに辛かったです。厳しい監督でした。特に冬場の基礎体力をつけるための練習は辛いのなんのってありません。二度とやりたくないと思うのですが、翌日にはまた同じメニューを繰り返しています。また、監督に厳しいことを言われます。でも、ご飯をたらふく食べて寝て起きたら辛さはどこかにいっています。

このくらいの辛さであれば、大丈夫なのです。

しかし、すき焼きを食べてもしゃぶしゃぶを食べても焼肉を食べても、一晩寝ても心が重いままのことがあります。それは耐えるべき痛みや重荷ではないです。今の自分では耐えきれないと判断して、ひとまず距離をおく選択肢をしてみて欲しいです。今の自分と書いたのは、将来の自分であれば耐えられるかもしれません。

特に人間関係でそのような痛みを負わせてくる人がいた時は、これを基準に考えてみようと思います。