牧仕ブログ

強みは人それぞれ、大切なのは人格

強みとか得意なことは人それぞれ異なります。多くの場合は後天的に積み重ねて得たものです。聖書では賜物という神さまが与えてくださったものという言葉で書かれています。

賜物は誰と比べて優れているかという考えは意味がないと思っています。気にはなってしまいますが汗。大切なことはこの賜物が「誰の役に立つのか」です。これは神さまが一人一人与えてくださったものであり、それは誰かのためになる時に花開くのです。

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

‭‭ペトロの手紙一‬ ‭4‬10

仮に同じ賜物を持っていても、環境が違えば発揮され方も違います。与えられた賜物を活かすために大切なことについて考えてみたいと思います。

一つ目は「人を知り、世の中を知ること

私たちは自分が知らない情報にアクセスすることはできません。これを読んでくださる方の中で、「ランボルギーニ」についての情報に日常的に触れる人は多くないと思います。知っていて、興味がなければ検索することも出来ないのです。

同じように、人がどんなことで悩んでいるのかも知らないことは多いです。会いに行く教会をやり始めてから、初めて知ったことがあります。「教会に行かないクリスチャンがたくさんいること」です。また、ポルノ依存症カウンセラーをやっていますが、これもふとしたことから知り、実際にやってみると悩んでいる人が多くいました。医者やカウンセラーにも相談したことあるけど、彼らが知らなかったという相談者もいました。

賜物を活かすために、人を知ることはとても大切だと思うようになりました。なぜなら、賜物は人のために活かすものだからです。

イエスキリストは奇跡のスーパーパワーを一度として自分のために使いませんでした。どんなにお腹が減っても、疲れても、傷つけられても使いませんでした。全て自分以外の他者のためでした。この姿に大きな学びがあります。

二つ目は「大切なのは賜物ではなく、愛

聖書を読むと、神さまは共同体の中に様々な賜物を持った人を与えるんと書いてある直後に、このような言葉があります。

そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。

そこに続く内容は「愛」についてです。大切なことは「愛」だとハッキリ書いてあります。もちろん、愛のあらわしかたは人それぞれ異なります。

会いに行く活動の中で私の心に残る人は、能力が高い人や、面白い活動をしている人よりも愛あふれる人です。なぜか、愛や品性は心の記憶に深く刻まれます。

どんな賜物を持っているかはそんなに大切ではないと思うようになりました。聖書はみんな違ってみんないい。それぞれの個性を大切にして生きなさいと言っていると思います。ただ一つ共通しているのは、愛を持った生き方を大切にしなさいと教えてくれます。これからも自分の人柄を磨き続ける生き方をしていきます。