聖書に「右の頬を打たれたら、左の頬も向けなさい」とあります。
もし、これを読んでいるあなたが、本当に右の頬を打たれたらどうしますか。
怒りますか。
倒れますか。
やり返しますか。
聖書の言葉のように左の頬を向けますか。
ちなみに、ボクは知らない人にいきなり飛び蹴りをくらったことがあります。飛び蹴りをくらったボクは、怒るわけでもなく、倒れるわけでもなく、やり返すわけでもなく、左の頬を向けたわけでもありません。
状況が理解できず、、、真っ直ぐ立っていました。
聖書の通りに行動することはできませんでした。聖書の教えを実践する難しさを学びました。
この聖書の言葉を最初に読んだ時はやられてもやり返さず我慢しなさいということだと思っていました。しかし、何度か読んでいるうちに疑問が生じました。
該当の聖書箇所はこちらです。
しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
マタイによる福音書 5:39
右の頬を打たれたら、やり返さずに左の頬をも向けなさいと書いてあります。
では、右の頬を打つことを想像してみました。右手で向かい合った人の顔を打とうとすると、左の頬を打つことになります。どうにかして右手で右の頬を打とうとすると平手では打つことが出来ません。手の甲ではたく感じになります。
この辺りから疑問が膨らんできました。
左手であれば右の頬を打つことが出来ます。もしかしたら、左手で打つことを想定しているのかもしれない。いや、適当に書いたのかもしれない。どうなのでしょうか。
どうやら、違った意味があるようです。手の甲で相手を打つことは侮辱の意味があり、対等な立場の人にはしないそうです。逆に手のひらで相手を打つことは自分と対等であることを意味するそうです。つまり、手のひらで打たれることは対等な立場であると証明していることになります。
やられたらやり返すことをせず、復讐の連鎖を止めるための最大のユーモアある返しだと言えます。
聖書の教えは人生に役立ちそうです。
イエスさま。最後に言わせてください。
「背中に飛び蹴りされた時はどうしたらいいですか?」