『死ぬ瞬間の5つの後悔』という本があります。そこで紹介されている5つの後悔があります。
自分に正直な人生を生きればよかった
働きすぎなければよかった
思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
友人と連絡を取り続ければよかった
幸せをあきらめなければよかった
だそうです。
数年前の自分であれば、自分に正直な人生を生きればよかったと思ったでしょう。後は、働きすぎなければよかったと思ったかもしれません。今は生き方が少し変わって、自分に正直な人生を生きています。
この5つの中でピンとこなかったものは「友人と連絡を取り続ければよかった」です。これはどういった後悔なんだろうかと考えました。自分では分かりませんでした。ちょうどそのタイミングで、会いに行く活動で出会った人が、まさにこの後悔を話くれました。
色々あって長年住んだところから新たな地へ引っ越しだそうです。今までは他愛ない話をしたり、お茶をする人が近くにいたそうです。しかし、引越しのことを友人たちにも告げずに、その地を離れて時間が経過しました。新しい地では孤独だったそうです。その時に一番後悔として湧き上がったのが、「友人と連絡を取り続ければよかった」ことだそうです。
私もモットーとして「大切な人を大切に」としています。世界中のすべての人を愛することはできない。ましてや、聖書もそんなことは一度も語っていません。出来ることは、出会った人を大切にすることだと思います。無意識に出来るのであれば、モットーとすらしません。しかし、意識しなければ人を大切にすることは難しいです。
久しぶりに連絡をもらうと嬉しくなります。久しぶりに電話がなると嬉しくなります、いや電話だと何か大変なことがあったのかと思ってしまいますが。たまに贈り物をしてくださる方がいます。嬉しいです。自分のために心を遣ってくれる人がいることで、こんなにも幸せを感じます。
私もそんな人でありたいです。
聖書を読むと、パウロはしつこいくらいに手紙を書いています。当時は相当な高級品であったにもかかわらずです。旅先であった人が気になっていたのでしょう。励ましを込めて手紙をもらった人はきっと嬉しかったと思います。また、「長っ!!」と手紙の長さにも驚いたと思います。
愛するという行為は瞬間的なものではなく、相手との関係を大切にし続けるという継続性もあると思います。イエスさまは一度出会った人とずっと関係を持とうとしてくれています。それこそ、聖書の物語は神と人間との関係から始まります。壊れた関係を取り戻す話です。
イエスさまを救い主として信じた人は、ずっと神との関係を持ち続けます。私たちには困難なことであるけれど、神さまはその愛を貫いてくださっています。神の愛は、何があっても私たちを離さないと約束してくれた言葉を紹介して終わります。
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
ローマの信徒への手紙 8章38-39節