牧仕ブログ

身体の健康は食べ物で、心の健康は情報に左右される

WHOの健康の定義には4つの側面があります。肉体的、精神的、社会的、霊的な健康です。霊的な健康については採択が見送られました。宗教的な意味合いが異なることからという理由でした。しかし、先の3つでは測れない側面があることを認識しているからこその議論だと思います。

最近は新しい健康についての考え方が話題となっています。それが「情報的健康」です。身体の健康は食べ物で左右されます。心の健康も同じです。不健康な情報を摂りすぎることで、わたしたちの性格も歪んでいってしまいます。それこそ、情報は「思考」や「人格」を作ります。なので日々の情報選択は、食事と同じくらい大切です。

コロナ禍で話題となったのは、YouTubeを見過ぎて陰謀論にハマっていった人たちです。ハマるだけで終わればいいのですが、明らかに異なる人格になってしまったことを訴える人が多くいました。陰謀論と一口に言っても色々な人がいます。しかし、恐ろしいことは人が変わってしまうことではないでしょうか。

では、私たちは情報とどのように接すればいいのでしょうか。上手に選ぶ分別力を磨くののがいいのか、それとも情報に触れないようにするのがいいのでしょうか。どちらが正解かは、分からないですね。ただ言えることは、分別力を得ることは簡単ではないと思います。分別力が身につく前に、いつの間にか思考が変わり、人が変わってしまう可能性があります。

結果的にですが、私はあまり触れないようにしています。実は私はSNSもYouTubeもあまり見ません。週に数回だけ、発信のための情報収集をするために見るくらいです。あとは、人に勧められたものはひとまず見ておこうと思ってみるくらいです。これは情報からの悪影響というよりも、他にやりたいことがあるから自然とそうなっています。

私は、ポルノ動画依存症のカウンセラーをやっています。ポルノ動画を見ることをやめたいという人からの相談を受けながら、やめるために一緒に伴走しながらがんばります。何をするのかといえば、「見ないようにする」ための努力を地道にあの手この手でやっていきます。

いつも見ているものを辞めるというのは簡単ではありません。

イエスさまの時代には情報過多ということはありませんでした。たくさんの情報に溺れそうになることはなく、むしろ少ない情報の中で過ごしていたと思います。パウロの手紙などはとても貴重であり、大変喜ばれたと思います。もちろん、手紙を読んでくれる人が近くにいる時はですが。

私の友人で聖書と新聞しか読まない人がいます。すごい面白いですね。私もだんだんとそうなっていきたいと願っていますが、難しそうです。常に情報を仕入れようとしています。

私は日々聖書を読み続けることで、頭も心もイエスさまの愛でいっぱいになれたらと思います。