今回は人間関係について最近考えていたことを言葉にしてみようと思います。悩みの9割が人間関係だと言われていますが、本当は期待した通りにならなくてがっかりしたが9割ではないかと思っています。
以前、職場で働いていた時に苦手な人がいました。その人とのやりとりがものすごいストレスで、しまいには苦痛に感じていました。苦手な人というのは、自分の願う反応を全くと言っていいほどしてくれません。逆に話しやすい人は、期待した反応をしてくれる人だと言えます。
嫌な人や苦手な人に変わってほしいと願います。でも、変わることはほとんどありません。深層心理の中に、変化を期待しているけれど絶望しているというのがあると思います。
私は会いに行くキリスト教会を始める前までは人間関係に悩んでいました。元来、友だちを作るのも得意ではありませんでした。小・中・高・大学に出会った人で、いまだによく遊ぶ友だちというのはあまりいません。仲良しだとこちらが思っても向こうは思っていなかったなどもありました。自分だけ遊びに誘ってもらえなかったこともありました。
でも、会いに行く教会を始めてから最近は人間関係での悩みがものすごく減りました。なぜなのか考えてみました。そう言えば、出会った人に変化を求めることがなくなった気がします。こうなってほしいという強い期待もありません。
会社で働いていた時は売上主義だったので、同僚や部下にも変化を求め続けていました。教会で働いていた時も周りの人に変化を求めることを強く願っていました。この人の信仰が成長しますようにと願っていました。でも、自分が思った通りに成長して行動してくれる人はまずいません。そして勝手に幻滅してはがっかりしていました。
言葉を変えれば、現在の自分は相手に期待しなくなったとも言えます。期待というのは、相手に変わってほしい、相手にこうあってほしいという理想を押し付けていることなのかもしれません。
会いに行く教会の活動でやることは、自分が会いに行くこと、相手の話を聞くこと、相手のニーズにできる範囲で答えることだけです。キリストを信じてもらうことは私が出来ることではないので、神様に祈ってお願いしているだけです。
こんな風に自分ができることを選ぶようにしています。絶対に出来ないことは人の心を変えることです。なので、相手に変化を求めない、相手が何かをしてくれることを期待しない。これだけでいつも心に平安があります。
以前、牧師の方が会いに行く教会から学びたいので教えて欲しいと言ってくれました。私は喜んで資料を作り、時間を確保し、一生懸命に話をしました。しかし、その後その人が何かを行動に移すことはありませんでした。一人でがっかりしてしまいました。これは、もちろん私がこの人が何かをしてくれることを期待していたからだと思います。
その後もこのような牧師の方は何人もいましたが、期待をしなくなることで自分の心が揺れ動かされることがなくなりました。この中には実際に行動に移す人もいればそうでない人もいます。それでいいのだと思います。
私自身、いつからか人間関係に悩むことが減ってきました。それと同時に幸福度も上がってきました。その秘訣は相手に変化を求めないことです。変えられないものを変えようとしない。これに尽きると思います。変えられるものはたくさんあります。自分自身、環境、人間関係などです。