キリスト教会に若者が来ないと言われて久しいです。若者が来ないと次世代に継承できず閉じられてしまうという懸念が各教会にあります。キリスト教に限らず、日本のあらゆる宗教の共通課題であると思います。
宗教全体としても逆風が吹いています。統一協会ののニュースやカルト2世問題など逆風の要因は様々です。
本当に今ある教会が若者に来てもらう努力をする必要があるのでしょうか。私は少し違った目線から考えてみたいと思います。
日本の人口は1.2億人くらいです。そのうち2.6人に1人が65歳以上です。かなり多いですね。教会の高齢化率は人口の比率と大きく比例しています。高齢化社会がきていますが、キリスト教会も同じです。
キリスト教徒の平均年齢は65歳です。牧師の平均年齢も70歳とかなり高いです。これが現状です。
このような年齢層の教会に20代、30代が来たとしても居場所がないと思います。働き盛り、子育て盛りの世代と話題も異なります。なので、無理に若者に来てもらう必要はないのではないでしょうか。
それよりも自分たちと同じ世代の人たちに来てもらうのがもっといいのではないでしょうか。これでは、教会に未来がないという人もいるかもしれません。でも、人は等しく毎年年齢を重ねます。なので、新しく高齢者の仲間入りをする人たちがたくさんいます。その人たちの居場所になった方がいいと思います。そういう意味では半永久的に続く可能性もあります。
若者に支えてもらうという考えではなく、自分たちの世代で成り立たせることで教会は上手にまわると思います。生きてきた知恵はたくさんあるので、それらを出し合いながら過ごすことも可能です。数少ない若者にフォーカスするために若者向けの何かをやる必要はありません。自分たちの年齢層に必要なものを作っていく方が、今いる人たちの居心地が良くなります。
誤解を恐れずに言えば、年配の方が多い教会を存続させるために、若い世代に存続させてもらうことは不健全だと思っています。教会の延命のために若い人の人生を使う必要があるのか真剣に悩み考えてみることも必要な気がしています。教会の役割が終わったら閉じて、次の世代は別の場所で新しいカタチで始めるのも一つの手です。
若者世代に今ある教会に来てもらうのではなく、若者にやりたいことをやってもらい、それを応援したり支援するのがいいと思います。次の世代や若者に思いがあるのであれば、支援という形を取ればいいと思います。世の中の流れはとても早いです。前頭葉が衰え始める40代から新しいものを取り入れ身につけることが難しくなります。若者がやっていることを同じようにやることは難しいです。そうであれば無理に取り入れるのではなく、別々に活動しながら互いに応援し合えばいいと思います。
世代を分けて教会を運営した方が来やすい人が増えるはずです。誰に向けた教会なのかをハッキリと提示することで必要を求める人が来やすくなります。
一般社会の中でもアスリート向けのジムとビジネスマン向けのジムと高齢者向けのジムなど、機能が分かれています。必要な筋肉やトレーニングが異なるからこその分け方です。小学校と老人ホームは機能が異なります。このように分けるということは必要な人に手厚く寄り添うことでもあります。
若者に特化した教会もあるので、そちらに任せることで上手に役割分担ができます。この話で引っかかる人がいるとすれば、伝統ある教会の存続についてだと思います。カタチあるものはいつかなくなり、役割が終わったら静かに閉じるというのが必要だと思っています。
新しい皮袋に新しいぶどう酒を入れましょうと言ったイエスさまの例え話はこのようなところにも当てはまるのかなと思いました。