神を愛するとはどういうことかという悩みは、大切な人に贈るプレゼントを選ぶ悩みと似ている気がします。
神を愛したいけど、愛することは何かと悩み、たくさん祈ってみたり、教会での奉仕をたくさんしてみたり、献金をたくさんしてみたり、一通りのことをした記憶があります。個人的には、どれもしっくりきませんでした。
大切な人に贈るプレゼント…何をあげたら喜ぶのか、
いつも悩ましいです。
誰か正解を教えてくれたらと思わずにはいられません。
本人にも聞きたいし、他人にも聞きたい。
喜んでくれるか、どうだろうか。
でも、この悩んでいること自体がその人を愛することなのかもと思いました。
神のために何かをしたい。何をしたらいいのだろうか。この悩みこそが大切だと思います。
聖書を読むと、イエスさまが言っていることは「わたしを愛するならわたしの掟を守りなさい。」「わたしの掟とはわたしを愛すること」と言っています。
結局、具体的な愛する方法は教えていません。自分で悩んで考えることが大切なのだと思います。
愛することは、言われたことを実行することではなく、相手を思いながら行動することだと思います。
話は変わりますが、わたしの親は、わたしがクリスチャンになることを反対しました。牧師になることも反対しました。最終的には反対することを諦めていました。
今はというと、わたしを応援してくれています。というのは、わたしが楽しそうに幸せに生きているからです。
親の子に対する願いは、幸せに生きてほしいということを知りました。親に対して出来ることは多くはありません。自分が幸せに元気に生きる姿を見せることが一つなのかなと思っています。神がわたしに願うことも似ていると思います。
これからも、神を愛することは何かを悩みながら歩んでいきたいと思います。きっとそこには、出会う人を愛することは何かと、悩みながらもがくことも含まれているはずです。
今日も神様の祝福が豊かにありますように。