牧仕ブログ

神の愛に駆り立てられる

結婚に関する考え方は人の数だけ多様にあります。その中で自分が聖書をもとにして大切にしたい考えは、結婚とは「一緒に生きていくという意志を持った決断」だということです。

以前、会いに行った方で、クリスチャンの結婚観にとても惹かれたという人がいました。どういうことなのか話を聞いていました。浮気や不倫などは当たり前にあることとして生きてきたその人にとって、一人の人を愛し抜いて生きるというクリスチャンの結婚観に良い意味で衝撃を受けたそうです。

聖書が教える愛に惹かれ、クリスチャンになる人は一定数います。有名な聖書の箇所として新約聖書の1コリント信徒への手紙13章があります。理想的な美しい愛の表現ではなく、泥くさく、地味な姿を愛として表現しています。忍耐すること、自慢しないこと、妬まないこと、苛立たないこと、恨みを抱かないことなどです。

私もこれに感動した一人です。愛という言葉以上に愛という生き方に心を動かされました。

まず、愛されている事実に感動しました。愛されることで、安心できます。愛されることで、自分の命を価値あるものだと思うことができました。大きな愛を受け取ることで心に余裕ができ、親や家族が自分に向けてくれた愛情に改めて気づきました。

そして、いつの日からかその愛に応えたいと思い、親や家族を大切にするようになりました。私は長い時間がかかった気がします。

今はというと、イエスさまの愛に応えたいと思ってこの活動をしています。自分や家族以外の誰かをイエスさまのように大切にする生き方を目指したいと思うようになりました。

私たちは愛することの大切さを知っているからこそ、人を愛することが出来ない自分に悩むのだと思います。そして、そのように生きている人を見ると感動するのだと思います。

「キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。」

パウロがこのように言いました。パウロの生涯はキリストに狂った人です。その原因はキリストの愛なのだと思います。

聖書を毎日読むことを続けていると、イエスさまの愛に感動する日があります。そんな日を重ねていくことが私の喜びです。