月に一度開催している食べに行く教会では「キリスト教Q&A」というものを礼拝会中にやっています。正解は特になく、それぞれが自分の答えを言う中で捉え方は人それぞれということを知ってもらっています。
その中に「キリスト教とは」という質問があります。答えは多種多様で面白いです。私なりの答えは「キリスト教とはクリスチャンやそこに関わる人たちの人間模様」です。
キリスト教に良いイメージがある人も、悪いイメージがある人もいます。それは、クリスチャンとの出会い、クリスチャンとの人間関係に左右されるケースが多いです。
聖書のエピソードを読んでも、基本的な構図は人間はいつも失敗と過ちがあり、神は素晴らしいというものです。クリスチャンという人がすばらしいというわけではありません。
ということを考えると、キリスト教とキリストの違いについては自明かもしれません。以下は以前作ったキリスト教とキリストについての違いです。
イエス・キリストの評論家はたくさんいる
イエス・キリストの表現者はあまりいないキリスト教の伝統を歩みたいとは思わない
キリストと一緒に歩みたいと思う牧師は
聖書の専門家である前に
愛の専門家であって欲しい言葉で語るクリスチャンは多い
行動で語るクリスチャンは少ない
私なりの活動指針であり、生き方の指針でもあります。
言葉ではなく生き方や行動こそ大切にしたいです。
ちょっとだけ補足します。イエス・キリスト信じることは神の恵みです。私たちの個人的な努力や行いは全く必要ありません。これが他の宗教と大きく異なることです。ほぼ全ての宗教が救いについて語っています。しかし、そこには必ずと言っていいほど努力しなければならないことがあります。
救いは人間の努力は必要なく、ただ信じることで救われます。
一方で、その後の生き方に関しては、どうありたいのかを選び続ける必要があります。私はイエス・キリストを知り、信じた時から、愛によって生きる姿に憧れ続けています。
どうしたらそうあり続けられるのかを求め続けています。